読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

昨日も明日も暇

日本語弱者が頑張って文字を書いた

キンツバ


周りがやたらと金木犀の香りについて騒ぎ立てるようになった
桜の開花よりも、夏至よりも騒ぎ立てる
まるで夏が過ぎ去ったのを喜ぶかのように
俗だなあ、なんて思ってしまうから捻くれている
大体こんなことをわざわざ口にしている時点で俗ですよ、わたしは

予定がない日がないと息が詰まってしまいますね
せめて学校があったとしても放課後何もない日が週に1日はほしい
今日はそんな日なはずだったのだけれど、何故か映画を見に行ってしまった
結局今週も出突っ張り
さて、生きられるか

もう終わるらしいですね、9月
今日が9月の最終日だなんて何度予定帳を見ても信じられないので、1日ずつ振り返ることにしましょう
嘘をつくつもりはありません、多分
まあ本当のことを書いたところで社会的精神的に死ぬ人はいないと思いますので、問題ないでしょう。
と思ったが、11日目で飽きた

まあとにかく言えることは、そこらへんの同い年の大学生がSNSにあげる海外の写真や、無駄に高くて量が少ない料理の写真、飲酒アピール、彼氏がいることを匂わせる類の写真、感謝という名の洋服を着せてはいるが、腹の中は自己顕示欲とマーキングで真っ黒なデート中の自撮り他撮りのコラージュなどをぼーっと眺め唾を吐きながら、ただひたすらに息を吸っては吐く、これを繰り返していたということ

雑炊

ご無沙汰しております。
夏休みとやらが終わってしまったようで。

私の夏休みは7月28日の14時くらいに始まり、9月20日の4時に終わったようです。
9月20日の4時1分から秋学期としての生活が始まる筈だった
まあ、8時に起きられずにぐずぐず布団と過ごしていたせいで学校には行けなくて、夏休みを一日延ばしてしまいましたわ〜なんてシャアシャアと言ってみたけれども。
シャアシャアと抜かしたところで、私が小汚いペラペラの布団にくるまっている間にたしかに民法の授業は進んでいたし、フランス語の授業も欠席扱いにされている

休んだところで、人より睡眠を摂ったところで夏休みは延びない

この夏休み、何をしていたのか?
「文化的生活をしたい、働きたくない」と意気込んでいた割に1ヶ月と22日間で200時間は働いていた
まあこれを短いと捉えるか長いと捉えるかはどうでもいい
まあ1つ言えることは、働きたくないと言ったところでお金がないと生活できない、お金がない生活が怖いのでなんだかんだ働いてしまっている、ということ

そんなもんだ

まあバイトは決して肉体労働でも、やりたくないことをやっているわけでもない
食堂の賄いは美味しいし、ライブハウスのバイトも楽しいし得るものが大きい

映画を10本見て、本を3.5冊読んだ。
だからと言って、何か得たか?と聞かれると何も得ていない
強いて言えば会話の引き出しが増えたのでは、と思うが、3分持つか持たないかですよ。こんなもの。
本を読んでいる間は思考が止まってしまうため、どうしてもバカになっている気がしてならない

ボロクソ書いているけれども良いことも沢山あった

バイト先のライブハウスで初めて企画を持たせてもらえることになり、8月22日にそれをやった
ずっと憧れ続けていた場所で、実家みたいに温かく迎えてくれる大切な場所の方々が演奏しているのを見て涙ぐんだりした。
人間って想像以上に暖かいんですね、びっくりだ〜って日だった

まあ感謝等々はインスタに書いてあるのでそっちを見てくれたらな、と。
死ぬまで忘れないと思う、始まるまでの胃痛も含めて全て。

オールナイトのライブに二回行ったり、友達の運転で島に行ったり、
意図せずして一時期散々通い詰めたところにまた行くことになったものの記憶を完全に無くしていることに気付いたり、サメを見に行ったり、疲れすぎてバ先で終電を逃し、ネカフェに泊まったり、福生に行ったり、外国映画の話を聞いたり、渋谷の路上でケーキをつついたり、日も暮れた自由ヶ丘を友達と歩き、ハロウィンの装飾を見て月日の流れの速さに怯えたり、世田谷線に乗ったり、浮世絵を見に行ったり、外で寝ながら生のJAZZを聞いたりした。

羅列するのは無粋だと分かりつつ羅列してみた。
見返すととにかく無粋で不恰好だけれども、まあいいや

自分1人だと行かないようなところに沢山連れて行ってもらえた
ありがたいですね

いい夏だったなあ、永遠に繰り返していたい

そうぼやきながら、8月には当然のようにクーラーで部屋を冷やしきって短パン半袖でごろついたのに
今はクーラーもつけず、パーカーを着て布団にくるまっている

 

秋だ

 

メグリズム

終わりましたね、8月。
どうやら今日は8月35日ではなく、9月4日らしい。
なるほど

8月が終わって9月に入った瞬間、周りが急に騒ぎ出した。
いやあ、太陽が昇って沈んで、暖かくなって寒くなって、って日々の繰り返しを適当(数理的論理的な大層な根拠があるだろうけれども、知らないし知る気もないので適当ということにしておく)に365日に分けて、その固まりを1年ってことにして、さらにそれをまた適当に30日そこらに分けて、それが1ヶ月、ってだけですので、8月31日と9月1日なんて大差はないでしょうよ。

まあ、こんな屁理屈では片付けられない何かが人を騒がせているんでしょうな
自分もそれなりに動揺はした
「いやあ8月来ましたわ」とシャアシャアとしてたら8月が終わった、というより「テスト近いよ〜7月終わるよ〜」なんて言っていたら8月まで終わってた、そんな気分

すごい速さで 夏は過ぎゆく とandymoriもそりゃあ歌ってしまうわけだ
ベイベーラララララララ、ですよ。

速く過ぎた、と散々騒いだものの、手帳やら日記を掘り出してみると「8月」ってやつは31日あったらしく、私も31日間たしかに生きていたらしい。

「文化的生活を送ろう」と銘打ち、極力夜にバイトを入れなかったこの8月、私は何を得て何を失ったのだろうか。

学校やらテスト勉強やらバイトやらで、ライブに行く時間はあるのに(そのために時間を割いたからこそ)、ゆっくり本も読めない生活を送っていた7月。
たしかにそんな日常からすれば、
「文化的生活」とはゆっくりと本を読める生活であり、自分がインプットすべきものは綺麗な言葉であったり様々な言葉の組み立て方であったり、知識だったりするのかしら、と思う、思った。

テストが終わった瞬間、活字を追いたい衝動に駆られ、本を沢山買った。
夏休みに全て読めると思い込んで買った。なんなら来月また買い足すだろうな、とも思っていた。

結局読んだ本は2.5冊。全く読み進められていない。
太宰熱が再燃した、というのは大きな収穫だとは思う。まあ本については一つ前の記事を読んでもらえたらなと

生まれて初めてチーズインハンバーグを食べたり、神楽南蛮という野菜の美味しさを知ったりもした、くらいだな得たものなんて。
まあ1ヶ月そこらで沢山得ようとした私が間違っていた

ただ感情がひたすらに動かされた。これほどまでに動くのか、というくらい動かされた。
身に余る幸せ、といったものも味わった。
幸せにメーターがあるとするならば、メーターを超えてしまうから持て余してしまう、身に余ってしまう。
そういうことなのか、と理解した。

そんな8月を過ごして、思うことは、9月は多くの人と関わりたいな、ということ
インプットしたいもの、「文化的生活」の意味が変わったってことです


何が書きたいか分からなくなったがとりあえず布団がないと辛い

朝御飯が一番おいしくなるようにならなければ。

朝ご飯の話をしたいわけではない。

太宰治の「斜陽」で主人公かず子の母親がかず子に言った言葉です。

 

ここ最近、人の言葉選びが気になるんですね

この人って、分かりやすい言葉を綺麗に使うんだな、とか、この人は独特な言葉選びをするな素敵だな、とか。
1番気になるのは、この人の言葉選び及び言葉遣いはどこから来てるのか、というとこなんですね。
集中的に読んだものであったり、好きな作家さんの話し方、だけではなく、自分に大きな影響を与えたであろう人の言葉遣いって知らぬ間に刷り込まれてたりするじゃないですか。
知らぬ間に言葉遣いが似ていて、他人から指摘されて気付く、みたいな。

中学〜高校前半まで、あるギタリストのブログをやたらと読んでいました。
ほとんど更新されないのに読んでいました。
内容も、車のことや自転車のこと、ギターのことばかりで、ほとんど何を言っているのか分からない。
でも、彼が書く文章が好きだったのでひたすら読んでいました。
まあその影響で、車を買うならタイヤにMOONEYESのキャップをはめたいな、と思ったり旧車って格好良いなあお洒落だなあ、と思ったりマニュアル車への憧れを抱いたりもした

そんなこんなでひたすら彼のブログを何度も反芻するうちに、言葉遣いが似てるね、なんて言われたんだ
学もない私が、だ。高校生の私が、だ。
意味が分からない。頭より体で覚えろとはこれなんですかね。

いや、多分、言ってきた友達が血迷っていたんだと思う。そもそも彼女はそんなに彼のブログを読んでいなかったのだし。
まあ、今似せて書こうとしても無理だろうなと思うし、似せて書く気もさらさら無いし、もう彼の文体がどうとか分からない。


簡単な言葉を綺麗に品良く使える人がいます。
3か月ほど前に、彼の言葉選びが羨ましくなって、どんな影響を受けてそのようになったのか気になったので彼が読む本を読むことにした。
彼とヘッセの車輪の下の話で盛り上がった、と友達が言っていたので、まず車輪の下を読んだ。
その後、本人に、言葉選びが綺麗で素敵だなと日々思うのでオススメの本を教えて欲しい、と伝えたところ、ヘッセのデミアンを丁度読んでいる、と教えてもらえた。
デミアンも読んだ。
彼よりも格段に、格段に暇だった私は、後に読み始めたのにいつの間にか彼を追い越していた。
彼とは何度かデミアンの話をしたが、彼はその度に「救われないよなあ」と言った。
私は既に結末を知ってしまっていて、主人公であるシンクレールが報われないわけでも、救われないわけでもないことも知っていたが、どうにもこうにも嘘をつかずにネタバレもしない方法が浮かばなかったので、曖昧な愛想笑いを顔に貼り付けながら、そうですね、としか返せなかったのを覚えている。

ヘッセはとにかく情景描写が多く、哲学的な話にすぐに持ち込むため、回りくどい言い方をしたり、ぐるぐると似たような話を繰り返す癖があるなと感じた。
また、読み手が思わず構えてしまうような厳かな空気感もあった。

物事を簡潔に、優しい空気に包みながら簡単な言葉を使う彼とは真逆なので、違和感を覚えた。

他にも本を教えてもらったので、それが影響しているのだろうか?
まだ読んでないから分からない。早く読めって話なんだが太宰にハマってしまい、それどころではない。

いやあ、太宰はいいですよ。最近会う人会う人に太宰の「家庭の幸福」はいいぞ、と力説してしまうくらい良い。
そういえば高校2年の夏休みから長期休暇に入る度に斜陽を読んでいる。習慣になりつつある。

ただ、太宰を読んでいるとはいえ、太宰が使う言葉を吸収出来ているわけでもない。


一体どうすればいいものか。

地球人とハイヤー


こんばんは

今日の月をご存知ですか。半月です。
下弦の月上弦の月かは覚えてないけれども。
まあそんな月への知識もない私ですが、月って良いですよね。

特に昼間の月が好きです。
淡い水色の中に白い月。良いですね。部屋の天井もそんな感じにしたい。

今日は丸一日用事がない日でしたので、ゆっくり起きて昼ごはんを食べて昼寝して、母親の所用に付き合い外に出ました
まあ母親の所用ってのがスマホの機種変をしにドコモショップに行く、ってやつだったんですが
案の定待たされるし香水臭いし目の前の子供はうるさいし、で、忍耐力のない私は車に戻って本を読んで暇潰しをしていたんです

その時に見た月が昼間の月。淡くてとてもよかった。

車の中で待つのに飽きたので、歩いて帰ることにしたが、申し訳なく思った母がタクシー代をくれた

そう乗る機会ないじゃないですか、タクシー。
芸能人でもないし。
多分人生で5回目そこら。嘘だ。15回目そこら。

タクシーの運転手さんがなかなか物腰が柔らかな方でしたので、話しながら帰った

その運転手さんの第一声が「今日は半月ですね」

良いですねえ。
最近なかなか月の話をしないじゃないですか。
月の話どころか「今日は良いお日頃で」なんて挨拶もしない、
なんならiPhoneで あいさつ、って打とうとするとアイザックがすぐ出てしまう、そんなご時世。

その時に車窓から見上げた半月は 昼間とは違って光っていたんですな
淡い水色の中の淡い白い半月ではなく、濃い青の中の金色の半月。

運転手さんとは、満月の日にお財布を月に向けて振るとお金が増える話をして帰りました。
北島三郎ってお財布にいつも200万入れてるんだって、いいね、意味分からないね、なんて。

家まで5分のところで降りて、歩いて帰りました
その時に見上げたら深い青に金の半月。
良いですね。月は、いつ見ても良いですね。

たまには空見なよ、ってお話でした

エモグラフ

 


お久しぶりです。今日って8月の10日なんですよ。
まあ夏休みに入ってから2週間が経った、ということですな

文化的生活をしたい、と言ってみたものの読書は然程進まず。かと言って早寝するわけでもなく。
夜だけ高等遊民のような生活を送る、って難しいんだなあ
高等遊民って本当に高等な生き物なんだなあと気付いた。

ただこの2週間は必要以上に感情が動いたと思う。
プラスの面でもマイナスの面でも。
まあ自分は 怒り という感情がどうも人より薄いのかな、とも思う。
なんだかなあ、と思ったことに対して、いくらでも言えるのだけれども内心は口ほど思ってはいない、というのが多々ある。
怒るほど物事に触れないようにしている、まあ逃げてると言っていいですよ。逃げです逃げ
怒り だったり反骨精神が大きな原動力になる、とは聞いてはいるが、まあ生まれないものは仕方がない

話は変わりますが、記憶力がいい、と公言して憚らないんですよ、ワタクシ
いやあ、本当に変に記憶力が良くて周りに引かれることが多々あるんですな
春休みに散々通った道に たまたま行く用事があって、
同行者に案内してよ、と言われて
ああここなら沢山楽しいところ知ってますよ、と連れ回そうとしたのだが、道が思い出せない。全く思い出せない。どころか、そこに行くまでの記憶すらも思い出せない。

その場所について、の記憶ならいくらでも掘り出せるが、思い出、というよりかは知識にすぎない。

ここは日曜に行くとなんたらで〜〜んで深夜にも潜り込めたりもするんですよ〜〜でも行き方分からないんですよ〜〜アハハ〜〜、え?その時ですか?え、なんで行ったんだろう、いやちょっと分からないですね、みたいな。

 

脳の構造ってどうなってるんだろうか

 

思わず「デート〜恋とはどんなものかしら〜」というドラマで、

藪下依子が谷口巧についてのエピソードは幾らでも思い出せるのに、鷲尾豊とのデートについてはほぼほぼ思い出せず、見に行った物の説明しかできないシーンを思い出さずにはいられなくなった。

 

ってだけの話

seizonken

 


来ましたね、夏休み。
夏休みって何故こうにもワクワクするのでしょうか。
冬休みも春休みよりも断然ワクワクする響き。夏休み。サマーバケーション(ここで某告知を入れると思ったら大間違い)。

7月の序盤に、ふと あれ?何をしているのかな私は、と思ってしまったんですね
学校行って、バイトして、帰ったらもう深夜で。そっからシャワー浴びてスマホいじって寝たら次の朝。
また学校行って。って。
なんだこれは、と。
春休み。春休みは春休みでよく分からないな、と。
バイトがガラッと変わって、環境が大分変わった春休み。
ほぼバイトするかライブに行くか、という生活。
いやあ、悪くないというか良質なんですよ。文化的に。とても。
お金を貰いながら音楽を聴けるし、普通に生活してたら出会えていないような音楽にも出会えるし。
とても良い。非常に良い。
もう一つのバイトはイタリアンだったのだけれど、これも良かった。昼営業がなくなったので辞めてしまったけども。
モヒートなんて作らないですからね。普通に生活してたら。あれ面倒なんですよ。
氷砕いてミント叩いてガムシロ入れてリンゴシロップ入れて。みたいな。
昼間なんてほぼ人が来ないから掃除して立ってるだけでお金はもらえるし、パスタ食べさせてもらえるし。

でも何でだろう。何だこの空虚感は。

自分の時間が貴重なものだとも思わないし、いざ空白の時間を与えられたとしても有意義な使い方を出来る気はしないし、ましてや、そこらへんの旦那の金で生活している主婦が自己満でインスタグラムに投稿してしまうような #丁寧な暮らし みたいな暮らしはできないとは分かってるんですけども。
それでも何かこう、時間に追われた生活に対する疲れと、自分の時間を切り取って売ってる感覚に不意に襲われてしまって。まあ甘えなんだけれども。

てことでこの夏は昼働いて夜は本読んだり日記書いたり映画見たりライブ行く生活にしよ、と決めました。
人間的文化的な生活をしよう2016夏。