昨日も明日も暇

日本語弱者が頑張って文字を書いた

メグリズム

終わりましたね、8月。
どうやら今日は8月35日ではなく、9月4日らしい。
なるほど

8月が終わって9月に入った瞬間、周りが急に騒ぎ出した。
いやあ、太陽が昇って沈んで、暖かくなって寒くなって、って日々の繰り返しを適当(数理的論理的な大層な根拠があるだろうけれども、知らないし知る気もないので適当ということにしておく)に365日に分けて、その固まりを1年ってことにして、さらにそれをまた適当に30日そこらに分けて、それが1ヶ月、ってだけですので、8月31日と9月1日なんて大差はないでしょうよ。

まあ、こんな屁理屈では片付けられない何かが人を騒がせているんでしょうな
自分もそれなりに動揺はした
「いやあ8月来ましたわ」とシャアシャアとしてたら8月が終わった、というより「テスト近いよ〜7月終わるよ〜」なんて言っていたら8月まで終わってた、そんな気分

すごい速さで 夏は過ぎゆく とandymoriもそりゃあ歌ってしまうわけだ
ベイベーラララララララ、ですよ。

速く過ぎた、と散々騒いだものの、手帳やら日記を掘り出してみると「8月」ってやつは31日あったらしく、私も31日間たしかに生きていたらしい。

「文化的生活を送ろう」と銘打ち、極力夜にバイトを入れなかったこの8月、私は何を得て何を失ったのだろうか。

学校やらテスト勉強やらバイトやらで、ライブに行く時間はあるのに(そのために時間を割いたからこそ)、ゆっくり本も読めない生活を送っていた7月。
たしかにそんな日常からすれば、
「文化的生活」とはゆっくりと本を読める生活であり、自分がインプットすべきものは綺麗な言葉であったり様々な言葉の組み立て方であったり、知識だったりするのかしら、と思う、思った。

テストが終わった瞬間、活字を追いたい衝動に駆られ、本を沢山買った。
夏休みに全て読めると思い込んで買った。なんなら来月また買い足すだろうな、とも思っていた。

結局読んだ本は2.5冊。全く読み進められていない。
太宰熱が再燃した、というのは大きな収穫だとは思う。まあ本については一つ前の記事を読んでもらえたらなと

生まれて初めてチーズインハンバーグを食べたり、神楽南蛮という野菜の美味しさを知ったりもした、くらいだな得たものなんて。
まあ1ヶ月そこらで沢山得ようとした私が間違っていた

ただ感情がひたすらに動かされた。これほどまでに動くのか、というくらい動かされた。
身に余る幸せ、といったものも味わった。
幸せにメーターがあるとするならば、メーターを超えてしまうから持て余してしまう、身に余ってしまう。
そういうことなのか、と理解した。

そんな8月を過ごして、思うことは、9月は多くの人と関わりたいな、ということ
インプットしたいもの、「文化的生活」の意味が変わったってことです


何が書きたいか分からなくなったがとりあえず布団がないと辛い