昨日も明日も暇

日本語弱者が頑張って文字を書いた

ハコ開け師の話

 


「慣れ」と「最後」について書こうと思います

「慣れ」について。
良くないですね。良いものではないと思います。
心が動きにくくなったことを指すんだと思います
日常を平穏に、できるだけ感情を上げ下げせずに生活したい私が何を言ってるんだと思われても仕方がないですが、やはり心が動きにくくなるってのは良くない
繊細な心なんか疲れるから持ちたくないのだけれども、必要以上に強くなってしまった心なんかもっといらない
そこらへんの野良犬にでも食わせておけばいい

なぜこんなことを唐突に言い出したのか、というと趣味というか日課になりつつあるパンドラの匣を開ける作業に慣れてしまったからです

パンドラの匣を開けると最悪なものが大量に出てくるらしい。あーあ、と思ってまた匣を見ると、隅に一粒の希望が落ちているらしい。「パンドラの匣」ってのはそんな話だそうです
私の趣味はパンドラの匣を開けることです、一粒の希望のために開けます。むやみやたらに開けます。
なんなら、もしかしたらこの匣はパンドラの匣ではなく、タカラバコかもしれないなという大それた期待までして開けます。
まあ、これは世の真理らしいのですが、私が開けるパンドラの匣には希望がないどころか想像を超える悪いものが出てくるようです。例外などないらしい。
ここまで書いて何を言いたくなったのか忘れたので、この話はここで止めにしましょう。

「最後」の話をしましょう。
ハッピーエンドって何なんだろう、どの時点でハッピーならハッピーエンドになれるんだろう、と考えていたら最後って何だろう、というところまで辿り着いてしまいました
確実なハッピーエンドが欲しいのですが、どこまで待てばいいのでしょうか。はて。
「終わりがあるから始まりがある」なんて言う人がいます
始まりなんて大したことはなくて、それこそ人間だって、パパとママがヤッて外に放出したってだけの話
性別ができたのも、遥か昔の人が林檎を食べちゃったってだけ
そんなもん
そんな大したことないことで生まれたものの終わりは、何故ああもドラマチックに、名残惜しくなるのだろうか