整頓された本棚

てにをは が苦手

プロテスタント

 

11月2日〜4日について
2日の0時00分から23日ぶりの飲酒をした
もちろん1人で 部屋で
唯一無二の推しの29歳のお誕生日を盛大に祝した、つもりではある
各種SNSで大きな声で祝ったので恐らく人に引かれたのだろう、とは思う
ピリ辛きゅうりはビールと合うんだな〜〜とかビールは美味しい飲み物だよな〜〜だとか
起きてからは静かに過ごし、静かに1日を終えるつもりだったが好きなバンドのオールナイトライブに行きたくなり、しかしオールナイトイベントの環境と治安の悪さを思うと行きたくないな、とグダグダ悩み始め、友人と行くか行かないかグダグダ協議をし、ジャンケンの結果2人で行くことになった
行くことになったのにジャンケンに付き合ってくれる友人を持てて良かったなと思う
バタバタとシャワーを浴びて21時半そこらに家を出て駅まで歩いたのがとても幸せだった
好きだったバンドの路上ライブの告知があるたびにバタバタとシャワーを浴びてバタバタと家を出て22時の新宿に繰り出していた1年前の夏を思い出した
恐らくこの記憶は一生褪せることはないだろう
終わるということは永遠になるということ

友人と駅で合流し、ライブハウスに向かう途中で旧推しの一般男性が女性と歩く姿を間近で目撃しながら「あーあ美味いつけ麺食べてえな〜〜」と言う23時半ちょい前
自分は自分の重すぎる貞操観念を崩さずに生きていきたいと強く思う
夜が深くなるにつれ治安が悪くなるライブハウスで他人に酒をかけられたりなどしながら眠気と頭痛と乾き目の中好きなバンドを見る27時
「エモい」という言葉はあまり好きではないがこれぞまさに「エモい」なあ、映画みたいだなあ、と思った
また、半年ぶりに心の底から高揚感が突き上げてきてあまりの幸せと高揚感に手が震えると同時に、自分がいかに高揚感を味わうことのない日々を送ってきたかに気付く
正直なところ、約半年前に好きなバンドを失い、夢を見ること、高揚感で身体を満たすことがなくなっていたので、どこかに落とした何かを取り戻した気になり、嬉しさが増した
ライブハウスを出たら外は静かで、しかし何かしらが平常通り進行されていて「ああ、さっきまで自分がいた空間は現実ではなかったのかな」「見えない、知らないどこかでこんな素敵な騒ぎが繰り広げられているのだろうか」などと極めてありふれた感傷に浸ってみたりもしたが残念ながら性に合わなかった
始発に乗り、明けゆく空の下、駅から家まで歩き、こんなに早く空は明るくなっていくんだなあと知る

その日の夜は友人とレコードを聴きに行った
5時間半ほど椅子に座り、低刺激でクセの強い音楽を聴くことの幸せさ
帰りに友人と電車に揺られながら2日間の話などをし、ハイテンションで居酒屋へ
自宅付近に友人がいないこと、飲み屋がないことから終電後に友人と居酒屋で飲むことに憧れを抱いていたので嬉しかった
バカなテンションで飲みバカなテンションで友人の家に帰った
このテンション感でビールを飲む会を月に一度出来たらな、と思う
自宅の布団よりもフカフカな布団で就寝、友人の家に置き歯ブラシというマーキング
なかなか起きられずに文化祭を逃しつつシャワーを浴び、乾かしたての髪の毛のまま散歩
乾かしたての髪の毛の柔らかさに洗髪の意味の全てが詰まっている可能性は?
中高と通っていた学校の最寄駅に行ったが開発が進みすぎて何が何だか分からなかった
しかしバスロータリーの前のファミリーマート、ゲームセンター、ジョナサン、パルコの中のさぼてん、など面影を嗅ぎ取り懐かしい気持ちを抱いたりなどした
どうも友好関係を長続きできないので高校の友人が1人しかいなくなっている、それ故に卒業生の風格を漂わせながら学校訪問なぞ一度もしたことがない
好きなバンドのライブに行った
多くの新曲を聴き、友人に貸してもらったアルバムとは雰囲気が少し変わっていて、核は変わらずとも進化しているんだなあと思い嬉しくなった

以上が現実離れした日常

ホクホクした気持ちで自宅の部屋に入ったらテーブルには前日の昼まで取り組んでいた問題集やケシカスやレジュメが散乱していた

これが本当の現実

見て見ぬ振りをして問題集の上にCDを重ね、罪悪感に苛まれたのでCDを本棚に戻した


反抗としての平凡について

いかに静かに、真面目に、小さく生きるかに焦点を当てて生きているし、生きていきたいと切に思う
自分の選択の半分は現状維持という名の惰性で残りの半分は天邪鬼あるいは反逆心によるものという自覚がある
恐らく「小さく生きて小さく死ねれば」と思うのもそこから来ているのだろう
いわゆるクリエイターやら何かを生み出すのに身を切るような思いをしつつ生み出さないと生きていけない、人(真摯なクリエイターか)や大きな世界に踏み出したいと思う人が何故か自分の周りには多い
9割方そうなのではないかと思う
素敵な生き方と気概だと思うし、当然敬意も抱いている


が、その中で生活をしていると「作り出す人は偉い、だって作り出すことは容易ではないのだから」「柔軟であることは素晴らしい」「覚悟を持って日々取り組んでいて素晴らしい」などという「創作讃歌」たる風潮に殴られることになる
極め付けは「fuck the policemen」などの公務員叩き
他人が創り出した文化たるものを安定した生活から摂取することの何が悪いのか

自分がどのような人間であるか、については他人が自分のことをどう紹介するかで8割方分かると思っている
19歳、20歳の私はよく「この子、◯歳で法律を学んでるんです」と紹介してもらっていた
なるほど何もない人間は年齢と在籍している学部の紹介をしてもらうことでサマになるのか、と知る
21歳になった、本当に何も言われなくなった
つまるところ私の価値の全ては年齢にあったということだ
なるほど何も間違ってはいない、何故なら私は何も作り出さないのだから
何も作り出さず、静かに実家に居座り、静かに普通の大学に行き静かに勉強をして静かにライブに行き、少数の友人に熱量高くライブの感想をぶつけ、静かに寝るのだから
恐らくクリエイター「さん」たちが絵を描いたり曲を作ったりして自己を高みに持ち上げている間に私は机をぼーっと見ては執拗に頭を抱えて時間を浪費するのだろう、しているのだろう

この文面だと凡人が非凡を妬んでいるとしか受け取れないとは思うが「ハンバーグが好きか、カレーが好きか」「マネージャーをしたいか、実際にボールを蹴りたいか」くらいの違いとしか思っていないから日々を送りにくいのだ、ということ
妬むということは羨めている、ということ
選択の違いゆえ、なぜこうも平凡な人間がこうまでして暮らしにくくなるのかが分からずにいるから全てが嫌になってしまうということ

ハイ

平凡讃歌はどこで流れるのだろうか