整頓された本棚

てにをは が苦手

箱庭

 


三軒先の家の二階の窓と自室の窓の間に遮るものがないため、自室から他人の部屋を覗くことができる。
と言っても、その窓は夜になるまで白いカーテンに覆われているし、夜になってカーテンが開かれても昼白色の電球と白い壁しか見えない。
朝の5時になっても電気はつけられたままで、私が起きる時間にはカーテンに覆われている。
「真っ暗だと寝られないんだよね」にしてもあまりにも煌々としすぎていて、これじゃあ寝られないだろうと思う。部屋の主は極端な夜型なのだろうか。
眠るためにカーテンを閉め、自然光を部屋に入れないようにしているのだろうか。

年末を過ごし、年が明けた。
年末感、なるものや年が明ける感覚とはなんぞや、と思う。

12月28日あたりから、別れ際に「今年もお世話になりました、来年もよろしくお願いします」や「良いお年を」などの年の瀬のご挨拶を交わすことが増えた。
もうそんな季節なのか、ここまで機械的に「良いお年を」なんて語尾につけてしまうと何もかもが薄れるな、などと思ったりもした。「良いお年を」も「お疲れ様でした」も全て同じ。形骸化した年の瀬のご挨拶。

12月30日にバイトをしながら、「ああこの人の多さ、妙に浮き足立った雰囲気、片付かないゴミ、増えゆく空き缶、疲弊する身体、アルコールの匂いと暖房でぼんやりとした室内と凛とした外気、紛れもなく年末」と思ったりもしたが、これが年末という解釈で正しいのだろうか。

12月31日の23時あたりに渋谷駅に降りたら0時00分に騒ぎたい人たちがたくさん待機していて、「渋谷でカウントダウンって都市伝説ではないんだな」と驚き、人ごみから逃げるように駅から遠くのファミレスに駆け込んだ。
0時00分は友人とそのファミレスでご飯を食べていた。
1つ隣のテーブルの人たちのアラーム音で新年の到来を知ったが、友人はそれに気付かずにチキンを食べていた。

あの普遍的なはずの高揚は、誰がどうやって与えているのだろうか