整頓された本棚

てにをは が苦手

偶像崇拝


秋は寂しい。

今日1日について。
何かのライブを見ながら「フォウ!」と叫んだ夢と、意中の男性(なお、現実世界ではインスタグラムをブロックされている)から「来週末何してるの?飲もうよ」と連絡が来て、「飲みましょう〜〜!」と意気揚々と返したところ、「○ちゃんと3人で飲もう」と言われ、ウワア!出たよこいつの謎のコミュニティ!江戸川花火大会(現実世界で当該男性に誘われ、意気揚々と参加したところ意味不明な団体に組み込まれた)の惨事再び......と戦慄した夢を見た。起きてゾッとしながらLINEを開いたらユニクロの公式LINEから3件宣伝が来ていただけで、虚無感を抱いた。
11月中旬のデザフェスに出展するZINEの準備に鬱々とした気分で黙々と取り掛かり、若干遅刻気味に家を飛び出し、宅建終わりの友人に会いに行く。
友人とケーキを食べ、それでも心に寂しさが残っていたので井の頭公園を散歩した。
友人とは終始記憶にも残らないようなどうでもいい話をしていた。ほとんど記憶にない。
こんなどうでもいい話を訥々としながら、肌寒い公園をいつまでも歩いていけたらと思った。
毎年、秋になると妙な寂しさを抱えながら生活する羽目になる。
恐らくこの寂しさは、彼氏ができたところで消えるものでもないだろう、季節性のものであろう、また、この肌寒さから来る寂しさを愛でている節もあるようで誰かに手を握られるような生暖かさは何一つ求めていないのだろうと思う。
凛とした空気の中、澄んだ空に浮かぶ寒々とした月を見上げながら友人と歩くのが至高なのでは、とも思えてくる。

友人と別れた後、妙な寂しさが消えないどころか寂しさが増長されたため、別の友人に会った。
友人の家の最寄り駅まで向かい、公園でブランコに揺られながらビールを飲んだ。
友人の家でビールを飲み、終電で帰宅。

ここ最近、「あこがれ」について考える。
あこがれは虚無を生むだけなのでは、と。
冬に凍える度、早く夏が来ないかなあと思う。夏が来れば全てがキラキラ光るのではないかと思う。
夏が来て、夏が過ぎ秋になり、「夏ってそんなはずじゃなかった」と心底思う。
あこがれの夏、で毎年想起されるのは自分が幼稚園生の頃にお隣さんから貰ったペットボトルに入ったリンゴゼリー。今そんなものを貰っても絶対に嬉しくないと思うが、それでも夏のあこがれはペットボトル入りのリンゴゼリーのようだ。
そんなこんなで満足した夏を過ごしたことなどないのだが、それでも冬になると夏に対し憧れを抱く。憧れを押し付けるが、その憧れの実体はない。

受験勉強や就職活動でバタバタと禁欲生活を余儀なくされていた時期には、内定さえ決まれば全てが上手く回る、天国のような日々を過ごせると本気で思っていた。
しかし、蓋を開けてみればバイト三昧の日々。
バイトしてバイトしてバイトを探してバイトでストレスを溜めて時には涙を流しながら帰宅し酒に逃避するも胃が弱っているので酒すら楽しめずに翌日のバイトを忌みながら寝て翌日もバイト、休みの日はバイトをしないことに不安を覚えバイトを探す、といった日々。
虚無感に殺されそうになるたび、先月稼いだ金額を計算したり内定先の名前を声に出してみたりする。
受験勉強でバイトを半年以上休んだことにより、バイト先の当たり前と自分の当たり前の間に甚だしい乖離が生まれ、息が詰まる。
半年休ませてもらうだけでも有り難いのにもかかわらず、それにより勝手に自分が当たり前からズレたのだから乖離に苦しむ自分が全て悪いのだと思う心と、何が悪いのか全く分からないと心底思う心がディベートを延々と繰り返す。
そもそも、就職活動中の面接ラッシュで虚構の自分を作り上げ、それを信じ切って完璧に演じたせいで自分が何者なのかもよく分からなくなっている。
完全に虚構ならまだしも、現実の自分の一面を誇張しただけでもあるので本当に何だか分からなくなっている。
あれほど夢見ていた今は、何なんだろうか。
むしろ受験勉強をしていた頃に戻りたいとも思う。

あこがれを抱くと人は腐る