整頓された本棚

てにをは が苦手

「静観」によせて

 

本当は写真集を出すつもりなどなくて、大学生活というモラトリアム期に漫然と書いた何かを形にして自分の部屋の外に出してみたかったし、そうする筈だった。
自分が死んだ後、遺品整理をする孫が「おばあちゃんが遺したのってこれだけなの......」とドン引きするようなくだらない刊行物を残してみたかった。
そう思い、7月から不定期的に絵つきの日記のようなものを書き、それらが10Pくらい溜まってから「はて、これはいつ切り上げていつ出すのか」などと考えながら読み直したところ、くだらなすぎて部屋の外に出すのが馬鹿馬鹿しく思えてきた。実体のない「世間様」に申し訳なくも思えてきた。
くだらない刊行物を作ったらくだらなすぎて完成されない、という何がしたくて何をしたのか分からない状況に。
人の目に触れさせられるようなくだらなさと、目を覆うようなくだらなさの微妙なラインを模索しきれぬまま、絵日記だけ部屋に残った。

困ったなあと思っていたところ、デザインフェスタに出る人が一緒に出ないかと誘ってくれたのと、
そういえば大学卒業までに写真をまとめた何かをしたいと思っていたなと思い出したってのと、そんなものが重なって、じゃあ写真集を出そうかなと。

2年くらいで撮った写真をまとめただけの写真集なので、特にコンセプトはない。
題名の「静観」は高校生くらいからずっと心の真ん中に置いている生活におけるコンセプトのようなもの。静観を望んだ生活の中で撮った写真の集合体。

作ってみたら思いの外愛着も湧いてきて、画質が悪い悪い、作らなきゃよかった、とぼやきながらも何度も見返してしまうような物になったので嬉しい。
作ったものを人に見てもらうと、社交辞令ともつかない意見を言ってもらえて面白いなと思う。
その中でも、バイト先の社員の方が「最初から最後まで全部写真で言葉がない!しおりなのに!しおりは言葉の人だと思ってた」と言ってくれて、
そういえば元々は言葉で何か残す予定だったんだよなと思い出すことができた。
写真集を友人に見せながら「社員の方に言葉の人って言われてさ」と言うと、「たしかに、しおりちゃん沢山本読むし、何か書いてもよかったかもね。」と。
とはいえ、何を書いたらいいのか全く思い浮かばず数週間が経ち、とりあえずリハビリとして今回の写真集に寄せた何かを書いてみるか、という着地点を見つけた。

自分には思想というものが全くなく、むしろ思想がないことや、思想があったとしても表明せずに現実と折り合いをつけながら生きることが美学なのでは、と思っている。何にも中指を立てたくないし、迎合もしたくない。
そんな純日本人的かつ現代人的な姿勢でいるので、熱のない文章を漫然と紡ぐことに何ら後ろめたさを感じずにいられる。
日々感じる些細なことを書いたものを先述した「くだらないもの」として出せればいいのに、と思い、
最近自分は何を考えているのか、今自分は何を考えているか、と内省したところ本当に何も考えていなくて、虚無感だけが残った。
日々襲ってくる何らかの苦痛をやり過ごすためにいかに自分を甘やかしながら苦痛も乗りこなすか、そればかり考えているんだなと気付く。
苦痛なんて大それたものでもない。満員電車に乗るのが辛いな、とか、駅から10分の土地に迷わずに辿り着けるかな、とか、昼ごはんをコンビニで買ったらお金がかかるな、とか。そんなものを「苦痛」カテゴリに入れて真剣に頭を悩ませる毎日。

就活が終わり、卒論も課されない大学生最後の半年をこんな風に過ごすのか、こんな筈じゃあなかったんだけどな、と思うが自分はいつも夏休みに対して「こんな筈じゃあなかったんだけどな」とぼやいている。そもそも、どんな筈なら良かったのか。
明確な光景も形作れずに抱いた憧れを、失望と虚無感に変換するだけの日々。
でも、そんな日々を「過去」として振り返ると思いもがけない煌めきを放ったり甘美な香りを嗅ぐことができる、こともある。そんなものなのかもしれない、全て。

これが、私の大学生活。