整頓された本棚

てにをは が苦手

シーソーゲーム


私は今、世間で言うところの「お堅い職業」に就いている。
2ヶ月前は下北沢のパワースポット・サロン的空間と言われている某ライブハウスでアルバイトをしていた。
私は、身を置いている環境で正解あるいは美徳だとされているものと真逆の価値観に身を振らないと、何かのバランスが取れずに気持ち悪くなってしまうため、常に環境と真逆の選択をしてきていた。本能レベルで。

就職活動においても本能で方向性を決定した。
社会に中指を立て、自分が格好良いと思うことを仕事にしたり、何かを創り出したりすることが美しくて正解ならば、積極的に長いものに巻かれ、安定を手に入れ、あまり興味のないものを仕事にしようと思った。自分で創り出すのではなく、与えられた仕事を無関心で行いカネを貰おうと思った。
自分のすることがカルチャーの最先端を走ることも、不安定な生活を楽しみながら生きるのも格好良く美しいことは分かっているつもりではあるが、
それでも私は仕事の根拠が法律や政令にあってほしかったし、無関心な仕事をこなして得た安定した給料から、他人の作った美しいものに対価を支払って生きていたい衝動に駆られた。
更に言えば、「周りの人間が勉強ばかりしている間に自分はギターを弾いていた」だとか、「頭でっかちな奴と自分は違う」だとか、「大学出なくてもなんとか生きていけることは分かった」だとかそんなことを平気で口にする人間や、安定をバカにする人間を嫌っていた。勉強ばかりして何が悪いのか。勉強と創作に価値の違いなどあるのか。頭でっかちで何が悪いのか。頭が小さい人間は偉いのか。「なんとか生きていける」で年金は払えるのか。偏差値が高い人間が奏でる音楽はアホらしいとでも言いたいのか。そんなことを日々思いながら勉強をしていた。だから、身の回りがクリエイターばかりの環境で自分が何も創り出さない人間でもへっちゃらだった。劣等感など抱いたことがなかった。
だから所謂「お堅い職業」に就いた。

「お堅い職業」に合格するための受験勉強中も本能がしっかりと働いていたのか、普通の受験生が勉強している時間に敢えて酒を飲んで友人の家に泊まってバカ騒ぎをしたり、ライブに行って勉強を放擲していた。逆に、ライブハウスのバイト中、ロックバンドが社会に中指を立てながら歌っているときは人目を盗んで受験勉強をしていた。ここぞとばかりに民法の問題集を解いていた。気持ちが良かった。

晴れて「お堅い職業」に就き、「お堅い同期や上司」に囲まれた今、当然ながら環境と逆のベクトルに本能が走り出してしまっている。

私は同期に合わせてコナンの映画など見るべきではなかったし、昨日買ったレコードの話や今日23度の屋外で風を浴びながら聴いたあの曲が素晴らしかったとかそんな話を友人としたいと切に思っている。
隣に座っている上司がどんな音楽を聴いているのか知りたい。目の前に座っている上司の好きな映画を知りたい。この人はこんな音楽や映画を知っていてすごいな、どこでこんなものを知るんだろう、と尊敬したい。

私の安住の地はどこなのだろうか。自分は何を求めているのだろうか。